隆兵そば
2018年1月29日

本物

本物は何か?
という問いに対して明確に答える事は、かなり難しく思えます。

物事を追求し出すとキリがないですし、真剣にやればやるほど、どこまでも本当でない気がして来るものです。

逆に大して追求しない人がほんの少しだけこだわりのある商品を手掛けると本物志向などと気軽に言います。

本物かどうかは最終的には、作り手に罪悪感があるか無いかということだと思います。
ほんのこれっぽっちもないなら本物。ほんの少しでもあるなら本物と言い切るワケにはいかない。
そんなところだと思います。

有り難いことに、私は自分の仕事に対してほんの少しも罪悪感がない。出来ているか出来ていないかなら、きっとまだまだ出来ていないはずです。
しかし、やっていることに罪悪感は一ミリたりとも無い。

良かった良かった。

2017年12月17日

アク

黒豆を炊くと、炊き始めにかなりのアクが出ます。

よく味が濃くなるからアクをとらずに炊くということも耳にしますが、やっぱりアクはアクです。そういうキツイ味ではなく、アクを除いた奥にある豆本来の「純粋な」甘さを引き出せてこそプロフェッショナルなのではないでしょうか?

これは黒豆に限らず、蕎麦や豆腐やその他様々な日本料理に通じているように思います。

濃い味こそが旨さということが近ごろ定着しつつあるのかもしれませんが、確かに旨さではあっても美味しさであるとは思えません。

その旨い味はアクの味ではないですか?

かといって水くさい料理を「頭で」「美味しい」に変換してはいないでしょうか?

ほんまもんはどちらでもありません。
きちんと味がして、なおかつ、きれいであります。
わかりやすく狙った「ふわとろ」なんかではなく、いっけんごく普通に感じながら、やっぱり美味しいと思える「大いなる普通」こそ、わたくしが目指す究極の美味世界です。

禅の修行の一番最後の段階も、煌びやかな高僧の衣を纏う訳でなく、普通の人々と何ら変わらない生活スタイルをもってして、尚、人々に良い教えができる人格が形成されると十牛禅図にあります。

わたくしはこういう日本の素晴らしい感覚が無くならないように、それを料理を通じて表現したいですし、それがわたくしの生きる道だと強く感じます。

2017年12月11日

身体に馴染む食べもの

その土地その土地に、その土地の味があり、その家その家にその家の味があります。当たり前のようですが、現代生活においては「そんなこと当たり前や〜っ」と言うことが難しくなりつつあるようです。

先ず、家の味が徐々になくなり始めていると聞きます。
出来合いのもの、または、炒めて混ぜるだけの調味料、ほぼ外食、など。
飲食店としては、ほぼ外食は嬉しい限りですが、やはりお子様には家庭の味を知っていただきたく思います。

たまに店の残り物を家でいただくことがありますが、店の味は張り詰めた味がします。
それは店で食べるから美味しいのであって、家でたべるにはリラックスしない味なんです。

料理人は少しの事にも緊張感をもって仕込みをするので、味にエッヂが効くんでしょう。
店ではそうあるべきだと思いますが、家庭の味には向きませんね。

一方家庭の味はおおらです。落ち着きます。そういう「ほっとする」味をお子様には覚えていただきたいと思うのです。

次に、その土地土地の味も徐々に衰退しつつあるようです。京都はまだそういう文化が残りやすい土壌だとは思うのですが、祭りの減少と共に忘れられていく味があると聞いたことがあります。

あとは急速な輸送手段の発達により、世界中の食材がボタン一つで購入出来る時代になったことも、便利なようでいて実はその土地の本来の食の在り方を変える大きな要因になっています。

珍しいものを求めることは悪いことではありませんが、やはりそういうものは身体に馴染みにくいのです。

日本人は明治まで牛乳を飲まなかった為、未だに牛乳が馴染まずお腹をこわす方は多いですね。

やはり身体に馴染むものは身近なものなんですね。
その身近なものを感動出来るものに仕上げるのが本当の腕前というものではないかと私は思うのです。

2017年6月27日

和食の「和」

和食の「和」にはどんな意味があるのかという、極めて当たり前なことをあらためて考えたいと思います。

辞書には

争い事がなく穏やかにまとる(和合、平和)

性質の違うものが一緒に溶け合う(調和)

日本、大和の国(和歌、和食)

とありました。

和食は日本の料理ということは当たり前として、和食とは調和の料理であると言えます。
性質の違うものを調和させることが和食であるということ。

しかし、これは奇抜な取り合わせを実現させるということではありません。全くもってそういうことではない。

昆布と鰹という性質の違うものが溶け合って出汁になります。これが和食の基本の「和」の在り方だと思いますが、問われるのはその「溶け合いかた。」

ただただ、溶け合えば良いかというと そうではありません。大切なのは「バランス良く溶け合うこと」。これこそが、本当の「和」であると言えます。

昆布と鰹と調味料が鍋の中で戦争していてはいけません。平和に溶け合い、バランス良く調和がとれていること。
そしてまた、このバランスにも種類があります。
昆布と鰹が少なくてバランスがとれているお出汁、昆布と鰹が多くてバランスがとれているお出汁。
和食は薄味といいますが、それは「調味料」が「少なくて済む」ようにすること。つまり、出汁をしっかり引く必要があります。それによって、塩や醤油などの塩分を控えることが出来ます。
薄味イコール水くさいではありません。

何年も修行した料理人でさえ、この薄味を取り違えて水くさい出汁を引く人がいますが、やはり出汁は良い材料をたくさん使い、良い部分だけをしっかり抜き出してバランスをとりたく思います。

そのようにしてしっかり引いた濃度の高い出汁でもバランスがとれていると濃いとは感じません。ひたすらきれいなのです。
出汁がしっかり引けているのにきれいな味。これを良い出汁の一つの目安にしていただきたく思います。

この出汁がベースになり、様々な食材を結び、「和」を形成していく。

和食の「和」とはそういうことではないかとわたしは感じております。

2017年5月25日

辛汁と甘汁

蕎麦屋では冷たいそばの黒いつゆを「辛汁」、温かいそばの出汁を「甘汁」と呼びます。
それぞれに求められている在り方はまったく違いますが、求められている役割は同じです。

求められている役割、それはもちろん麺を活かすこと。
では在り方のほうは何故違うのか?
それは 麺をどう活かすのかという「やり方」が違うのです。
やり方が違うから、在り方が違うのです。

辛汁からいえば、お造りと醤油の関係と同じです。
麺がお造り、つゆが醤油。
お造りに少しだけ醤油をつけることによって、魚の味を活かすことが出来ます。何もつけない時より、つけた時の方がはるかに魚自体が活きてきます。

甘汁は、炊き合わせにおける 出汁と具材の関係に似ています。つまりバランス良く総合点で勝負するような感覚です。ここで大切なことは一体感です。

麺を活かすやり方も、際立たせる為の辛汁に対して、一体化させる甘汁。

もちろん出汁の引き方、かえしの作り方など 辛汁と甘汁では全く異なります。

隆兵そばでは、その他にも、吸い地用の出汁、料理用の出汁、鯉こくの出汁と全て取り分けており、全てが全く違うやり方です。

出汁へのこだわり、それが和食の命だと思います。

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